今日も変わらず、怪しい光の絶えることなきクルルズ・ラボ。日向家地下秘密基地内で誰もが足を踏み入れたがらない場所だが、例外がいる。その例外は、鼻歌交じりに自己顕示欲旺盛なその建物の呼び鈴を押していた。 「クルル曹長、クルル曹長〜」 呼び鈴を押した割には返事を待つこともなく侵入してきたケロロを振り返ることもなく、魔窟の主は床に座ったまま作業を続けていた。大きなモニターに向かってキーボードを叩いていることが多いクルルだが、今は何かを作っている。 「却下」 ケロロが近くに歩み寄ってきたのを足音で判断し、クルルは一言告げていた。言われたことにキョトンとケロロは眼を丸くするが、すぐに不機嫌そうな表情を作る。 「我輩何にも言っていないでありますよっ!?」 「どうせ発明品のおねだりだろぉ?」 「おねだ…っ、我輩、オコサマじゃないでありますっ」 「ク〜ックックックッ」 発明品を頼もうとやってきたケロロは、図星をさされた上におねだりと子どものようなことを言われ、憤慨した口調で言い返す。愉快そうに笑い返したクルルに余計に腹が立ち、その後頭部を小突いた。 「クルッ」 そんなに強くしたつもりはなかったのだが、予定以上に力が入ったらしい。後ろからの攻撃で、クルルは手に持っていた工具へと顔ぶつけていた。 ゴッという鈍い音に、硝子にヒビが入るような音が小さく混ざる。そのまま固まったように動きを見せないクルルの後姿は、不機嫌オーラをかもしだしていた。 −−今の音は…割れた。絶対割れた−− 小さな方の音は、眼鏡が割れた音だろう。どう考えても悪いのはケロロだ。どんな報復が待っているのかとケロロは青ざめる。 「あ…当たっちゃった…かな〜?」 「超デッドボールだぜぇ…ク〜ックックック…」 −−っ! 逃げねば命の危険が危ないであります!!−− 未だ振り向かないクルルから低い声で返事が発せられ、怒らせた!とケロロは多少混乱しつつ冷や汗をかきながら後ずさった。 「ご…っ、ごめんなさいでありまっゲロォっ?!」 あわあわと謝りの言葉を発しながら逃走しようとしたケロロだったが、足元に何本も走っているコードに足を取られて転倒した。そのコードがつながっていた先は、クルルの手元にあった作りかけの発明品だ。コードを引っ張られてクルルの元からその機械は吹っ飛び、宙を舞うと報復のようにケロロの頭上へと落下する。 「…ク〜ックックック…お見事」 大きなたんこぶを作って床に転がるケロロを、クルルは笑う。制作途中だった凶器はどこか壊れてしまったかもしれないが、なかなか愉快なオチが見れたのでそれなりに機嫌をなおしていた。 引っくり返っているケロロに動きはない。今の内かとクルルは割れてしまった眼鏡をかけなおし、破壊力抜群のコントをやってのけたケロロを起こしにかかる。 「オイ、隊長。いつまで寝てんだよ」 「う…ん…」 軽くゆするとケロロは容易く意識を取り戻した。痛そうに顔をしかめた後、後頭部を擦りながらキョロキョロとラボの中を見渡す。ついでクルルに視線を止め、怪訝な顔をして首を傾げた。 「…おじさん、誰?」 「おじ…?」 「ココ、どこ? 何で俺こんなトコにいんの?」 「…俺?」 おじさんと呼ばれたことに軽く…いや、かなりショックを受けながらも、ケロロの口調の変化にクルルは嫌な予感がした。 緊急召集の呼びかけに小隊の一同が基地へと向かうと、司令室の中を駆け回っているケロロ、仏頂面をしたクルルが待っていた。 ケロロは突然現れた三人に驚いた表情を見せた後、すぐにタママの側へと駆け寄る。 「なあなあ、ここすげーな。あ、俺ケロロ!」 「ぐ…軍曹さん? どうしたですぅ?」 「軍曹さん?」 タママに問い掛けられ、ケロロは要領を得ないように首を傾げる。その仕草は、どこか幼いような気がした。 「どうしたんだ? ケロロ」 「隊長殿?」 ギロロとドロロからも訊ねられるが、ケロロはその顔をじっと見るだけで返答をしない。やがて、キラキラした目で驚くことを口走った。 「すっげー! ギロロとゼロロにそっくり!! 二人のおじさん?」 「だから…人の話を聞けって、隊長…」 様子のおかしいケロロに向けて、クルルが疲れたように呟いた。何があったのかと、ギロロ達はクルルへと視線で問い掛ける。 「あー…隊長の一人相撲なんだが、ちょいとトラブった」 一同の疑問に応えると、クルルは溜息を零していた。 『我輩』ではなく『俺』と言い出したケロロに、クルルはいくつか質問をし、中身が子どもに戻っているらしいことに気が付いた。子どものケロロは好奇心が旺盛で、ラボのみならず基地内を駆け回ってクルルに多大な労力を強いている。相手はケロロなだけに、いつかのカラチロ騒ぎ以上に性質が悪かった。あの二人は逃げ回っていたが、ケロロは堂々と機械類を弄る。立入禁止のところに突撃する。やるなと言った事は必ずやる。状況説明には耳をかさない。いつものケロロの方がまだマシだった。 タママに真っ先に話し掛けたのは、『自分と同じ』幼年体の子がいると安心してのことだろう。ケロロにとって、ギロロとドロロ(ゼロロ)は子どもの姿しか想起されない。今のギロロとドロロは『自分とは違う』大人なのだ。 そんな説明をクルルから聞き、ギロロ、ドロロ、タママの三人は、ケロロに何とか現状を理解してもらおうと説明を始める。しかし話を真面目に聞いてもらえない。 「ケロロ! 人の話はちゃんと聞けと、何度も言っているだろうがっ!」 「ギロロ君、ケロロ君は子どもなんだから、そんなに怒ってちゃダメだよ」 「甘やかすとこいつは図に乗る。そんなガキだ!」 ギロロが癇癪を起こして怒鳴れば、ドロロは味方と認識したらしいケロロは、ドロロの陰に隠れてしまう。それでも何とか会話を重ね、昔話を交えての苦戦の末に、ギロロとドロロの認識はできた。 「ギロロってばオッサンになると、こんなんになるんだ。ケロケロケロ、おっかしー」 「お…っ」 「ゼロロがアサシンになったってすげーなー。で、後はこのコと眼鏡のオジサンが俺の仲間ってこと?」 「おじさん…プッ」 クルルのことをおじさんと言うケロロに、真っ先に反応したのは意外なことにギロロだった。いつもクルルからオッサン呼ばわりされているだけに、その当人がオッサン認定を受けていることが可笑しい。肩を震わせて笑いを堪えていると、不機嫌そうなクルルの言葉が飛んできた。 「笑えばぁ?」 「…い、いやいや。確かに、今のケロロから見ればオッサ…」 言いかけた言葉の途中で再び噴出しそうになって黙り込む。そのことが返ってクルルの機嫌を損ねるが、場が和んだのは確かだった。 「…チッ。『今』がどのくらいか、わかりますかねぇ先輩」 クルルは舌打ちをすると気を取り直して、ケロロがどの辺りまで戻ってしまっているのかを訊ねる。しっぽ付きの頃であることは分かるのだが、ケロロは勉強がダメだった。学力では年齢を推し量ることができない。 「ドロロが引っ越してきた後なのは確実だな」 「高学年辺りではござらんか? あの遠足の話は何年生でござったか…」 「軍曹さぁん、小訓練校の遠足って言えば」 キャイキャイと昔話で盛り上がる四人を眺め、クルルは溜息を零す。 これが日常の中であるならまだいい。ケロロが記憶を取り戻すのを待つだけの時間がとれる。しかし今は作戦実行中だ。今この時に本部から何らかの連絡が届いたら、敵性宇宙人の襲撃があったら、ケロロは対処できない。そして、どちらにしてもケロロにとってかなりヤバい状況になる。 オッサン達は現状を分かってんのかねぇと、クルルは楽しそうに話しているケロロを見遣った。 今のケロロはクルルを知らない。物怖じしない態度のようでいて、クルルを警戒しているのは態度で分かった。クルルは人に好かれるタイプではない。ケロン人にしては珍しい眼鏡も、何を考えているのかわかり辛い表情も、人を小馬鹿にしたような話し方も、子どもにすら避けられる要因は気持ちよく兼ね備えていた。 『知らない不気味なおじさん』を警戒するのは当然のことだ。クルルを除く三人とは容易に打ち解けたケロロは、クルルのことを気にかけてもいない。楽しそうに派手なジェスチャー込みで何事か語っては、笑い声を上げていた。 「え? 俺隊長ってマジだったのか!?」 「マジも何も、お前の腹にあるのは何だ」 「いやー、ケロンスターのレプリカの所為でそう呼ばれてんのかと」 「それは本物でござるよ」 「俺スゲー! な、な、スゲーよな!」 「軍曹さんは僕の憧れの人ですぅ」 −−ああ、イライラする−− 現状を分かっていないギロロやドロロに。楽しそうなタママに。今を忘れたケロロに。 長らく語り合っていた四人がふと気付くと、クルルの姿は司令室からは消えていた。 隊長の中身が小訓練生では任務にならない。並みの隊長であれば、本部に報告をして新隊長を要請するか、小隊そのものの交代となる事態だ。しかし隊長の素質を持つケロロには『バックアップ』がある。ケロロの記憶は小訓練校高学年辺りまで戻っているが、その後の記憶は本部のデータベースに、地球に来てからのものはラボにある。早急に復旧を図る必要があった。 しかし−−と、クルルはラボには戻ったものの、何の作業も行わずに何も写っていないモニターをぼんやり眺めていた。 バックアップとは言え、完全なものではない。本部にあるデータは軍にとって都合の悪い部分は消去されているはず。ケロロの経験や考えを全て記録したものではないのだ。地球に来てからのものもケロロが意識していない部分は記録されていない。どうしても本部にあるデータが必要になる。弄れば、クルルの知るケロロはいなくなる。 せめて、地球に来る直前くらいであったなら。そこまでの記憶があれば忘れた部分を取り戻させる必要もないし、今の関係を作り直すことは可能だ。面白可笑しい隊長の、悪友という立ち位置に。だが小訓練生まで戻った今ケロロでは、記憶を弄ればクルルの居場所は参謀以外の何者でもなくなるはずだった。 「…クソッ」 悪友でいい。ケロロとくだらない悪巧みをして、隊員すら煙に巻いて、参謀とは違った己にだけ許された場所がケロロの中にあれば、それだけでよかったのに。それすらも、なくなってしまう。 「隊長…思い出してくれ」 本部に気付かれる前に。己の手でその記憶を弄らなければならなくなる前に。 「頼む…」 小さく呟いたクルルの言葉は、低く響く機械音にかき消されていた。 「あの…クルル曹長?」 遠慮がちな声に呼びかけられて、クルルはラボの出入口を振り仰ぐ。そこにはケロロが立っていて、そっと中を覗きこんでいた。 「何だ?」 いつものケロロはやらない仕草だ。やっぱり避けられているようだが、その中で敢えてラボまで一人でやってきたらしいケロロに用事があるのは確実だ。一体何だと、クルルは椅子から立ち上がる。立ち上がりはしたが、警戒させないように歩みよりはしなかった。 「あの…さ」 ケロロは足先を見詰め、もじもじと足先で床に円を描いていたかと思うと−−ジャンピング土下座としか形容の仕様のない仕草で床に平伏していた。 「ご…っ、ごめんなさいでありますっ!!!」 「っ?!」 突然いつもの口調に戻り、ケロロは大きな声で謝ると顔を上げた。幾分か涙目だ。 「まさかこんな大事になるなんて思ってなくてっ! 我輩の悪戯が過ぎたことは十分反省しているであります! お願いだから、何とか収集つけてっ! ホント、ゴメンナサイ!!!」 クルルに再度謝ると、ケロロは床に頭を打ち付けそうな勢いで再土下座をしていた。 記憶退行はケロロの芝居だったのかと、クルルは即座に悟っていた。通常であれば疑う範囲の言動なのだが、真面目に話を聞かないケロロに振り回されたことでそこまで頭が回っていなかった。 ケロロはクルルの眼鏡を割ったばかりか、コードを引っ掛けて作成途中の発明品をふっ飛ばし、自分の頭に当たると言う痛い思いはしたが、壊れたかもしれないとクルルの報復が怖かった。その場を何とか逃げ出したくての、苦肉の策だったのだ。 しかし子どものフリを続けるあまりにギロロ達を呼ばれてしまったことで、事態は大きな事件へと発展した。隊長という己の立場を思い出し、このままではとんでもないことになると、ケロロは自分の悪戯が過ぎたことを悟っている。そして、この状況を何とかできるのは、クルルしかいなかった。 「実験台でも何でもするであります。だから、あの、…ごめんなさい」 反応のないクルルにビクビクしながらも、ケロロは小さくなって精一杯謝る。その姿を眺める内にクルルは溜息を零していた。 いつもなら、こんな悪戯をしでかしたケロロに陰険な報復をしかける場面だ。しかし。 −−…やべぇ。泣けそうだ−− 安堵のあまりに座り込みたい気分だった。ケロロに何事もなかったことが、力が抜けるほど嬉しい。 こんな些細なことでありえないほど動揺し、状況判断能力が落ちていた。自慢の頭脳が役に立たなくなるほど、どうしようもなくケロロに惚れているのだと気付かされて、クルルは自分が可笑しくなる。 「…ク〜ックックックックック…」 クルルが低い声で笑い声を上げると、平伏したままのケロロの背中がビクリと反応し、ダラダラと冷や汗をかき出した。 −−わ…我輩、今度こそ死ぬかも…−− −−とか思ってんだろうなぁ−− 最早怒れない自分にクルルは気付いている。しかし、このままにするのはクルルのキャラクターではない。さてどうしたものかとクルルが悩んでいる間中、ケロロは生きた心地もないままに、全身を緊張させて床に蹲ったままだった。 +++++++++++++++++++++++ 芝居でした。いやいや、始めはマジで記憶退行にしようとしていたんですけど、流れ上収集がつかなくて。どうしようか悩みながら読み返してみたら、あれ?芝居でもいける状況じゃん?とか思ったですよ。何はともあれ、ベタボレそうちょ。…すみません(ジャンピング土下座) |
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